1970年代に数々のヒット曲を手がけた作詞家の千家和也さんが食道ガンで亡くなっていたことが分かりました。
「わたしの彼は左きき」の思い出
千家さんの作詞といえば、私が真っ先に思い浮かべるのは「わたしの彼は左きき」です。しかし、訃報の記事を読んで、彼が私世代の青春を象徴する作詞家だったと改めて気付きました。
「わたしの彼は左きき」は、当時を代表するアイドルだった麻丘めぐみが歌って大ヒットしました。清楚な風貌と可愛い歌声が多くのファンの心を引きつけました。
千家さんの詩も覚えやすく、歌いやすいものでした。
その頃私は、博多駅近くのガード下を多くの取り巻きと共に歩く麻丘めぐみとすれ違ったことがありました。実物の可愛さに、「左きき」の歌を頭の中に響かせながら、しばらく見送ったのを覚えています。
時代を先取りしたキャンディーズ「年下の男の子」
そしてキャンデーズの「年下の男の子」。「ラン」「スー」「ミキ」3人のアイドルたちの歌と踊りは今でも心に残り、彼女たちの曲がかかると自然に体も動きます。
あのころ、千家さんの「年下の男の子」は、時代を先取りするフレーズだったと思います。
千家さんは、山口百恵の歌もたくさん書いています。その中でも「一夏の経験」は、山口百恵の代表曲の一つになりました。
「あなたに女の子のいちばん大切なものをあげるわ」というフレーズで、作詞家は、山口百恵のコケティシュな一面を引き出したのでした。
聴く者の想像力が刺激される詩
千家さんの歌を聴くと、聴くものの想像力が刺激される詩が多いですね。奥村チヨの「終着駅」、平浩二「バスストップ」、三好英史「雨」など、情景が鮮やかに浮かびます。
千家さんは演歌もたくさん書いています。内山田洋とクール・フアイブ「そして、神戸」、殿様キングス「なみだの操」など、大ヒットしています。
どの曲も酒場でや街でいつも流れ、カラオケでよく歌われていました。みんなが宮地オサムの、こぶしが効いたクセのある「なみだの操」を真似して歌ったものです。
「そして神戸」に10万人の署名
「そして神戸」は、1972年に発売され、当時44万枚売れるヒット曲になりました。ところが23年後の1995年にある出来事がきっかけでリバイバルしたのです。
それは、阪神大震災。神戸の被災市民たちが「神戸の応援歌」として紅白歌合戦で歌って欲しい、と10万人の署名まで集めました。
クールフアイブから独立していた前川清は、紅白で、音がずれてもいいと、力強く歌ったそうです。
千家さんは6月13日に食道ガンで亡くなり、葬儀は近親者だけで済ませたそうです。73歳でした。作詞家は生前、時代の空気をすくい取り、また、時代を作ったのでした。