私が住む福岡市は1日に始まった 博多祇園山笠祭りの真っ最中です。
といっても祭りの会場は、那珂川と御笠川の間にある博多部を中心に繰り広げられています。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉が実施した「太閤検地」(区画割り)で、商人の町博多部が決められました。
国の重要無形民俗文化財
その名残りで、市名は福岡ですが、JRの駅名は博多です。
豪華絢爛な飾り山と、勇壮な舁き山(かきやま)で知られる博多祇園山笠は、博多の総鎮守・櫛田(くしだ)神社に奉納する神事です。
国の重要無形文化財に指定されています。
祭りの歴史は古く、760余年の伝統があると言われています。
諸説ありますが、鎌倉時代に疫病退散を願って承天寺の住職が町に水をまいて回ったのが初め、という説が有力です。
その後、奉納の飾り山が生まれ、山を担いで速さを競う舁き山(かきやま)も加わりました。
豪華絢爛14基の飾り山
毎年7月1日に始まる山笠は、15日の最終日の追い山まで、ほぼ毎日神事が行われています。
期間中、博多部を中心に14基の飾り山が置かれ、市民や観光客の目を楽しませます。
飾り山は高さ、およそ10メートル、毎年人形師が腕を振るって制作した豪華絢爛なものです。武者人形など、歴史に題材をとった内容が多いです。
重さ1トンを担いで走る舁き山
飾り山が「静」の山笠とすれば、舁き山 は「動」の山笠です。約1トンの重さの山を、30人以上の男たちが走りながら交代で舁(か)きます。舁きとは担ぐという意味です。
祭りの行事は、1日から9日にかけて行われる「お汐井とり」(おしおいとり)で始まります。
とくに9日は、水法被(みずはっぴ)と締め込み姿の全員が集合して、筥崎浜(はこざきはま)でお汐井(清めの砂)を採り、全行程10キロを歩いて筥崎宮や櫛田神社で期間中の安全を 祈願します。
10日は「流れ舁き」です。この日、舁き山が自分の地区を初めて走ります。先走りの子供たちや招き板を先頭に、熱気冷ましの勢い水を掛けられながら走ります。
11日は「朝山」。早朝5時から博多の町に「オッショイ」の力強い掛け声が響きます。
この日は、大人が舁き山に子どもを台あがり(乗せること)させて走ったり、功績があった年寄りに神酒でもてなしたりします。
11日は、「朝山」から10時間後に「他流舁き」(たりゅうかき)もあります。自分の流域外に出て他の流の流域に山を舁き入れます。
追い山ならしで本番さながら予行演習
12日は「追い山ならし」。予行演習です。本番さながらに1秒でも早く駆け抜けるよう走ります。
13日は「集団山見せ」です。8基の舁き山が博多部を超えて福岡市役所前に集合します。
14日は今年最後の流れ舁きです。フィナーレ前日、追い山の最終調整をします。
追い山は朝4時59分スタート
かくて15日「 追い山」 の日を迎えます。早朝4時59分、合図で一番山笠が櫛田神社入りして奉納後にスタート。
すぐに7基の舁き山が続いて櫛田入り、次々に博多の町に走り出して須崎町の廻り止め(ゴール)までの所要時間を競います。博多の町が最高潮に興奮に包まれます。
例年、博多は山笠が終わると梅雨明け、夏がはじまります。